けんりょく…


今回の公文書改竄に関して 皆様はどのように認識されているでしょうか?

とんでもない事! ってのは何となく感じておられると思いますが…

私的にこの問題は 近代民主国家の根本を揺るがす大問題だと認識しています。

国家権力の根源は強制力!

その強制力は国家が国民を統治する為に必要なものであり、あらゆる私人の暴力を禁圧し 国家のみが暴力を独占し、合法的に行使できるということになります。

一般的な国民は その規律の中で安全を担保され 平和に暮らすことが出来るわけですが…

その国家権力が一部の人間によってコントロールされることがないように 三権分立をはじめ あらゆる分野で相互監視するような様々な規定が設けられているのが近代民主国家の基本となります。

ようするに…

それくらいの規定を設けないと 権力ってのは暴走しやすいものなんでしょうね〜

シンゾー君達を見ていると それがよーくわかります。(笑)

そのための命令系統の正当性の証明が【公文書】と言えるのだと思います。

逮捕状という【公文書】によって身柄拘束ができ…

判決文という【公文書】によって人を死刑にすることが可能…

捜査令状という【公文書】によって他人のプライバシーにふみこみ…

裁判所による【公文書】があるから強制執行ができるわけです…

そしてそれらの【公文書】は適正・適法に行われているという信頼のもとに 国家・政府に強大な権力を認めているわけです!

その信頼を揺るがす事件が 今回の【公文書】改竄なんです!

そして その問題の根っこに安倍政権がいるわけですから この政権をこのままのさばらせるのがいかに危険かが理解出来ませんか?

近代社会学の祖として有名なマックス・ウェーバーが、『職業としての政治』という著作の中で、次のように解説しています。

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現代の国家を社会学的に定義しようとするならば(その活動の内容ではなく)、すべての政治的団体が所有しているある特殊な手段によるしかないのです。

その特殊な手段とは、物理的な暴力なのです。

かつてトロツキーはブレストリトスフクにおいて、「すべての国家は暴力を根拠としている」と喝破したのですが、これは名言です。

もしも暴力を手段として利用することがまったく知られていない社会が形成されていたら、その場合にはこれを「国家」という概念で呼ぶことはできません。

その場合には国家という名称の代わりに、特殊な意味で無政府状態という概念を使うべきでしょう。

もちろん暴力を行使するのは、国家にとって正常な手段でも、唯一の手段でもありません(分かりきったことです)。

しかし暴力の行使が国家に固有のものだと言うことはできるでしょう。

とくに現在では、国家とこの暴力との関係がきわめて緊密なものとなっています。

過去においては、氏族をはじめとするさまざまな団体は、ごく普通の手段として物理的な暴力を行使してきたのでした。

しかし現在では、人間の共同体のうちで、ある特定の領域において(この領域という言葉に注意しておいてください)、正当な物理的な暴力の行使を独占することを要求し、それに成功している唯一の共同体が国家だと言わざるをえないのです。

これは現代に特有のありかたでして、国家以外のすべての団体や個人には、物理的な暴力を行使する権利が否定されていて、こうした暴力を行使できるのは、国家が承認した場合に限られるのです。

ですから国家は暴力を行使する「権利」の唯一の源泉とみなされていることになります。

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さて…

この問題がどのような終結を迎えるかは分かりませんが…

貴方はこれからも 安倍政権を支持しますか?


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