【努力】すれば報われる…


【努力】すれば報われる…
こういった話をされる指導者は多いと思います。 
が…
これは 明らかに間違いですよね!?
世の中は 一生懸命努力しても その努力が 【直接的】に報われない人が 多数存在していると 私は思います。
ただ…
成功を掴む人間は 間違いなく【努力】しているはずです。
非常に微妙で 難しい部分ですし 異論・反論があることは 重々承知の上で あえて申し上げます…
「努力が必ず報われるとはいえない!  が…  成功を収める人は 間違いなく努力を怠らない!」
要するに… 
【努力】の成果を 目先の【成功】に求めると 人は大きな間違いを犯すのではないでしょうか?
【努力】の先にあるのは 【充実】であるべきだと 私は思います。
【充実】した人生であれば その先の【結果】を 素直に受け止める事が出来るのではないでしょうか?
逆に言えば…
【結果】だけを求める人間は 無駄な【努力】をしなくなるはずです。
って事は…
【結果】に拘る人間は 【充実】した人生をおくっていない事になります。
禅問答の様な話になりますが… 是非 自分の立ち居地を 見つめなおしてみてはいかがですか? (^_-)-☆
「バスケットボ-ルというスポーツを通して 何を教え・伝えていきたいのか?」
私も含めて 指導者には 常に自問自答していなければいけないテーマだと思います。
情に流される選手起用を否定しません!
勝利に拘る選手起用を否定しません!
年功序列による選手起用を否定しません!
指導者の好みによる選手起用を否定しません!
ただ…
心を鬼にして 言わせてもらえれば…
チームスポーツに携わる指導者は 個々の選手の努力を しっかり見つめていなければならず、そういった事を しっかりと把握した上で その努力した姿に心動かされること無く 客観的な判断を 心痛めながら 下さなければならにものだと思います。
当然 この話の前提は 皆が努力している… というものです。
この前提が成り立つなら…
努力してきたから 試合に出れる… とか
努力してきたから ユニフォームをもらえる… とか
努力してきたから 特別な待遇を得られる…  なんてのは どこか間違っている気がします。
本当に教えなければならない事は 
どんな状況であろうが…
報われようが 報われまいが…
結果に結びつこうが 結びつくまいが…
ひたむきに【努力】する事は 自分自身のためなんだ!!! という事ではないでしょうか?
私自身も 情に流されそうになる事が多々ありますが、 指導者が そういった気持ちで選手に接する事こそが 自分が任されている大切な選手たちを 上から目線で見下している事の証明に思えてなりません!
常に 指導という立場に 自分が関わっていられる感謝の気持ちを忘れない【指導者】でありたいと思います。


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